色彩世界の大変革を成し遂げたウィリアム・パーキンとモーブ

ウィリアム・パーキン 合成染料 モーブ
モーブの発見者ウィリアム・パーキン

 

 

 

 

 

ウィリアム・パーキン(1838-1907)は、世界で初めて合成染料を発見した人物です。

まだ18歳(1856年)のとき、色彩史に残る大事件を成し遂げました。

 

ロンドンの王立化学大学の助手として、大学の休暇中、マラリアの特効薬キニーエの合成法を実験していました。

その最中に、誤って紫色の副産物を作ってしまいます。

 

パーキンは絵画や写真に興味があったため、この紫色の結果に強く引かれ、師匠ホフマンに内緒で実験を進めました。

 

 

そして、副産物として得た紫色が、絹を染める能力があり、耐候性もあり、紫色の染料になることに確信を持ったのです。

 

 

 

当時のヨーロッパでは紫色の染料は極めて高価な貝紫(かいむらさき)しかありませんでした。

その大変高価な紫色を実験室で、作り出せたことに興奮したパーキンは、特許を取得し、ホフマンの反対を押し切って1857年にこの染料を製造する工場を設立します。

 

 

1862年にはロンドン万国博覧会においてヴィクトリア女王は、パーキンが合成に成功したモーブの絹のガウンをまといました。短期間の間に、パーキンは科学者としての能力のみならず、実業家としても大成功を収めたのです。

 

 高貴な貝紫でなくても、簡単に鮮やかな紫色を得られることを実証したウィリアム・パーキンは、

「誰でも、自由に色を選択できる時代」への転換に貢献しました。

 

(ただし、間も無く、同じようなアニリン染料であるフクシンが直後に発見されました)。

モーブ パーキン 合成染料
モーブで染められた絹が同封されているパーキンの息子の手紙
合成染料モーヴ(紫色)
合成染料モーヴ(紫色)
京都服飾文化研究財団
京都服飾文化研究財団
合成染料自体が目新しく、当時、ブルジョア女性たちの心を捉えました。